「天書」随想

中国共産党中央政治局委員
中央書記処書記
中央宣伝部部長
劉雲山 (Liu Yunshan リュウ・ユンシャン りゅう・うんざん)


 私は韓美林の作品を好んで見る。特にその彫塑作品には、気宇壮大さと独創性が溢れている。私は韓美林の文章を好んで読む。いずれも深い思索と独特の見解を湛えている。私は韓美林が語る言葉を好んで聞く。その言葉は常に、新鮮な驚きと巧みな言い回しに彩られている。今日さらに韓美林の「天書」を目にし、大いに目を開かれ、心を揺り動かされた。独特の芸術的インスピレーションと手法とが、これらの古代文字に生命を吹き込み、生き生きと表情豊かに蘇らせている。これらは最早、玄妙で分かりにくい古代文字ではなく、まるで一つ一つ精巧に造られた芸術作品に生まれ変わったかのようだ。そこには芸術家個人の手腕だけでなく、中華文化の恒久的な魅力が現れている。学術的な価値や文化的価値については、専門家と後世の評価に委ねておこう。

 韓美林先生が文章の中で次のような見識を述べているのを、何度か目にしたことがある。「一つの国、一つの民族は実力を持つことが必要だが、もっと重要なのは魅力を備えることだ」中央政府は文化的なソフトパワーの向上を打ち出しているが、美林先生の言う魅力とはこのソフトパワー、即ち文化のことだと考える。文化とは、民族が生き残るための糧であり、発展の内在的な土台である。民族の魂と血脈の中に深く溶かし込まれたものである。中華5000年の文明が連綿と続いてきたのも、中華民族が苦難の歴史を経ながら衰えなかったのも、何度も外患に遭いながら滅びなかったのも、この中華文化の力が支えになったからだ。「天書」の魅力は、国家と民族の魅力により輝かしい光を添えることになるだろう。

 第17回全国代表大会では、中華民族が共有する精神的故郷を建設することが提唱された。これに賛同する者は数多く、呼応する者も潮の如く押し寄せている。精神的故郷の建設には、もちろん精神が不可欠だ。精神のことなら、私が思うに韓美林先生は敬服に値する精神の持ち主である。人生の苦難に押し潰されることなく、逆にそれを精神的な財産としている。私たちが韓美林作品から感じ取るのは、楽観とひたむきさであり、幸福と満足であり、希望と活力である。彼は言う。「私の一万点もの作品の中に、一つとして悲観的なものはなく、また苦しみを訴えるものもない。私の生涯では多くの苦しみを味わったが、芸術的創作においては悲観的にもならないし、苦しみを訴えることもない。一人の良き人間としてあるだけだ」楽観的かつ闊達、苦を楽に変えて来た韓美林は、常に若々しく、周囲にパワーを漲らせ、芸術追求の道を休みなく歩み続けている。古希を過ぎても尚、大いなる志を抱き、自ら「今も芸術創作の隆盛期にある」と語る。来年には「天書」の下巻を出す予定で、中国文字辞典を編む計画もあるという。その献身の精神には感服するばかりだ。芸術家にとっては、精神はインスピレーションや天賦の才より重要である。精神は魂や骨の中に宿るものであり、精魂、気概、真髄なくして、活力や、ましてや才能などあり得ないだろう。

 芸術的創作を行うには、ルーツや土台を忘れずにいる人だけが、秘めた能力や力量を発揮し得る。芸術には命があり、この命は民族の土壌に根を張っている。韓美林は常に民間を逍遥し、生活や広範な一般大衆から精神的な養分を汲み取って、創作のインスピレーションを得ている。韓美林の芸術の根は深く中華の肥沃な大地に張り巡らされ、彼は「陝北のおばあさんの後継者」を自認する。「天書」は韓美林が30年以上の歳月を費やして、全国の古い陶器や石に刻まれた文、壁画、青銅器、碑文、甲骨文など各種の古代の文物から探し出し、毛筆で書き写すことによって整理したものだ。中華の伝統に対する韓美林の深い愛情と、生活への愛着なくして、「天書」は生まれなかった。ここに到って、言い古されていながら常に新しい、あの言葉が思い起こされる。「人民は芸術に携わる者の母であり、社会生活は芸術創作の唯一の源泉である」豊かで多彩な社会生活から栄養を汲み取り、人民が向上しようとする前向きの精神で自身を育む、これこそが芸術家が自ら追い求めるべきものだ。

 韓美林先生は「巨匠」や「大家」といった言い方が好きではないし、もちろんそう呼ばれることも好まない。しかし、目下中国人は皆、文化芸術界の巨匠や大家がもっと現れることを期待している。一つの国、一つの民族には国の文化レベルと民族の文化的イメージを代表する文化の代弁者が必要だ。国の文化的イメージとは、その国の文化と伝統、文化的創造力、文化の力の表れであり、国民の素養や精神の有り様の表れである。文化的ソフトパワーの質を向上させ、中華文化の国際的影響力を強めるためには、文化芸術界の巨匠、大家が、即ち文化の代弁者がもっと大勢現れることが必要である。巨匠や大家がそう多くいる訳はないが、しかし欠くべからざるものであろう。

 「乱世が英雄を生む」「憤怒が詩人を育む」といった観念は広く流布しており、激動の歳月や苦難の年代があってこそ、後世に残る傑作が生まれ、文壇の巨匠が現れるという考えがある。こうした観念が正しいか否かはここでは論じないが、正直にどちらかと言えば、国運の隆盛と文化の繁栄を望みたい。中華民族の偉大な復興は、中華文化の繁栄を必然的に伴うだろう。現在の芸術家は本当に良い時代に生まれたものだ。文化芸術の発展にとってかつてないほど余裕のある環境があり、文化芸術の創作にとってかつてないほど豊富な素材があり、芸術家がその才能を発揮する上でかつてないほど広大な世界が開けている。深い思索と精緻な芸術性をたたえ、後世にまで伝えられ、人々の誇りとなるべき傑作を多く生み出すことは、時代の求めであり、人民の期待するところだ。それは、責任感と理想を持ち、良識を備えた全ての芸術家が、担っていくべき責任と使命である。